reading
introduction


Chapter 1 -回遊-

2. ..-イズムの源流-

1. first bite


1.礎 ..-イズムの源流-

1978年、一つの礎が築かれた。

サーフェースプラッガーのためのテクニカルスタディ
ブラックバス釣りの楽しみ方
則 弘祐 山田周治

東京ロッド&ガンクラブの則 弘祐氏 山田周治氏によって執筆されたこの一冊は、同クラブが確立していたトップウォーターバスフィッシングの集大成を余すことなく披露したもので、釣りの総合月刊誌フィッシングが創刊10周年という節目を迎えるにあたり企画した単行本「フィッシングの本」シリーズの第一弾として出版された。
はっきりいって単なる入門書ではない。いまでいうところのスタイルブックだ。”釣りの楽しみはプロセスの中にこそにある”と主張し、釣果ではなく過程に釣趣の本質を求める一種の精神論を支柱としている。それは「ブラックバスの釣り方」ではなく,「ブラックバス釣りの楽しみ方」というタイトルからも読取る事ができる。こういった”釣り心”は日本の釣り文化では古くから存在し幸田露伴(1867-1947)や井伏鱒二(1898-1993)といった先人達によっても脈々と受け継がれている。そんな背骨をもつサーフェスゲームというフィッシングスタイルを理論ではなく実感論として、あらゆる角度から徹底的に分析し、独断と偏見としつつも、全く隙いる事もできないほどに、その釣趣の本質に迫っている。ここに一つのスタイルが確立、そして提唱されたのだ。

1960年代、まだ全国に数県ほどだったブラックバスの生息分布は、70年代に入るやいなや急激に広まった。それと同調し第一次ルアーフィッシングブームが巻き起こる。そんな時代背景に打ち立てられ提示されたこの本冊子は、ページを開くと第一章から「ぼくたちはなぜ,サーフェスプラッガーになったのか」と筆者らの主義主張からはじまる。当時トーナメント一辺倒になっていたアメリカのバスフィッシングに疑問をぶつけ、独自の持論を展開。ゲームフィッシングとはなんなんだろう?なぜサーフェスゲームなのか?淡々と語られるその主張からはとても情熱的な熱意が感じられる。
月刊フィッシング編集長の吉本氏は前書きで、東京ロッド&ガンクラブに対し「バスのゲーム性を追求したトップウォータープラグによる、日本のバスフィッシングを確立した」「本当のゲームフィッシングの何か?明日のブラックバスフィッシングの何か?を発見されることを期待して止まない」と綴っている。これは、きっとそんな熱意に魅せられてのことからだろう。
ここで目をこすってはっきりさせておきたい事がある。フィッシングというものは言うまでもなく自由奔放な遊び。よって様々な地域で特有の技法や愉しみ方が生まれ発展する。ここ日本でもバスフィッシングは様々な進展を遂げた。このサーフェスゲームはまさにそれにあたる。しかもこのスタイルはアメリカからやってきたバスフィッシングが勢いよく広まり定着へ向かうさなか、独自の観念と解釈をもって築き上げられた日本で最初のオリジナルバスフィッシングスタイルだといえるのだ。
アメリカのバスフィッシングのもつスポーティーかつサイエンスな部分に日本の釣り人が古くからもつメンタルな気質が絶妙にクロスオーバーし、昇華したゲームフィッシングの一つの理想形である。

1980年代にはいり,日本のバスフィッシングはさらに加速。1985年には、遂に日本でもプロトーナメントが開始される。結果的によりいっそう商業主義の主導のもと、発展していくこととなる。それはまさに、この本の第一章で疑問を抱き危惧していたアメリカのバスシーンに酷似した方向性であった。
そんな時流によりサーフェスゲームは瀞場へと漂流。しかし漂えど沈まず。あの熱意に触れた一部の熱狂的なアングラー達によって、ブラックバス釣りの楽しみ方は、決して途絶えることはなかった。
時代の流れは、この本をいつしかバイブル的存在とした。そして、ここで紹介されているタックル概念やノウハウ、テクニックは一枚岩の基本となった。

1990年代に入り、もはや支流と化したサーフェスゲームは、巷でオールドタックルが取り沙汰されはじめたり、ハンドメイドサーフェスプラグを作るブランドが現れはじめたりとそんな新たな流れに歩調をあわせるように、再びジワジワと注目を集めはじめる事となる。そして90年代中頃、バスフィッシングバブルの到来。そのうねりはサーフェスゲームにも大きな影響をもたらした。特に90年代後半のハンドメイドプラグの興隆は、独創性に溢れ、サーフェスゲームの愉しみを大幅に押し広ることとなった。

現在、このスタイルには一言では表せないほど四方八方に派生した方向性が見られる。
だが,どちらを向いてもは同じトップウォータープラッギングである事は,揺るぎない。
どういう形であれトップウォーターでブラックバスをどう釣りあげるかに拘る以上、すべてはこの「ブラックバス釣りの楽しみ方」という礎の上に成り立っているといえるのだ。

この本が出版されたのは1978年。
僕はまだ小学1年生。もちろんリアルタイムで見ていない。目を通したのは、まだまだずっと先。 一回り二回り上の世代の人にこの頃の話を聞くと、皆、口を揃えて言う。
「バス釣りだけの本なんてほとんどなかった」
そんな時代なのです。情報希薄。
そんな時代なのに.....。一気にここまで到達するとは...。
やはりハングリー精神が独創性を生むのでしょうか。ともかく、はじめの第一歩がとてつもなく大きい。 それ故、この本で紹介された”一枚岩の基本”は、その後のサーフェススタイルの普遍的基準となっている。
例えばタックル。例えばチャンピオンタイプのガングリップにアブなどのオールドタイプのリール。この本では当時の最良の道具を紹介しているだけなのだが、これがいつしかサーフェススタイルのベーシックスタイルとなっている。まさにこの時代に打たれた杭がどれほど深いものかを物語っている。これはよく言えば伝統とも言えるのだが,裏を返せば呪縛とも言えるだろう。だがこれは決してマイナスということではない。束縛されていると感じれば人間の本能は必ずどこかでそれを振り解こうとする。前提を疑い変化を求めようとする原動力はハングリー精神のそれに限りなく近い。文化とは必ず時代が反映されるものであって、主義を踏襲しつつも革新を絶えず試みて細微な変化を常に繰り返していくものだ。事実、近年、このサーフェスゲームのシーンには以前にはなかった”概念”が次々と生まれてきている。特化性の強いものや釣り以外のカルチャーを消化した混血な発想など色とりどり。
これはサーフェスゲームがまだまだ途上であって、まだまだ限りない可能性を秘めていということだ。
また一方では,このスタイルを伝統として懐古的な側面に執着する人やさらに時代を遡りアメリカの古き時代に”純正”を求める人達も多くいる。

まったくもってサーフェスゲームの懐の深さは底なしだ。

クワイエットファミリー。
この本ではじめて目にした言葉だった。
著者達は...いや,サーフェスプラッガー達は言う。
「このプラグの世界は、サーフェスプラグの一つの極地だ」

ずっと昔、この言葉に冒されたわけです。極地への冒険の始まりです。

とにかく、礎はここに打ち立てられている。



2011年2月17日 liberal anglers