reading
introduction


Chapter 1 -回遊-

1. first bite

2. ..-イズムの源流-


1.first bite

study to be quietという言葉をいつごろどのように知ったのかが正確に思いだせない。長い時間をかけてじっくりとずっぷりとすり込まれたものってのは大概そういうものだと思うのだが、それにしても不甲斐ない。自らの座右訓としているほどなのに、その記憶を呼び起こせないなんて。そう、いつからどのようなきっかけでトップウォーターのバス釣りに足を突っ込んだのか?これも同じく。双方、即答を迫られれば、とりあえず「いつの間にか」とあやふやに答えるしかないのだが、もはやこんな不確定な衝動にしっとりと人生の柄を見事に染めあげられてしまっている。自覚がないという事はより純度が高いということ。単なる物忘れもこう考えれば、とても値打ちがあるが、それが苦し紛れであることは否めない。
とはいえ、色々と掘り返し右手か左手かのところまでやってきての足踏み状態。
study to be quietという言葉を最初に耳に目にした”出処”ははっきりしているので、そこから序列を乱さず記憶を遡ればふりだしに行き着くはずはずなのだが、これがどうしたものか、何度考えても二股に路が分かれてしまうのだ。
右手のビデオテープor左手の本。どちらかが、”最初”。これは間違いない。



-右手のビデオテープ-
昔,よく一緒に釣りに行ってた友人に借りて観たSports Graphic NumberのVHSビデオ『開高健の大いなる旅路-スコットランド紀行」。
この作品は1988年〜1989年に撮影されたもので(1990年にTV放映)、結果的に開高さんの映像としての遺作となった。
内容は、初夏のスコットランドを舞台にしたフライフィッシング紀行。旅はロンドンからはじまる。街を徘徊し英国紅茶の老舗トワイニングやフィッシュ&チップスに訪れてはあの癖のあるイントネーションで、開高節を次々と吐き出していく。そしてハウス・オブ・ハーディーではフライフィッシング初挑戦の為、道具の仕立てから身だしなみ、ノウハウ、キャスティングまでも、つまりは一から英国の伝統的なフィッシングスタイルの手ほどきをうける。全編に渡りロードムービー的にストーリーが流れスコットランドでは独自の文化などにも触れドキュメンタリー色も濃い内容となっている。釣りはというと、まず元イギリス首相のヒューム卿を訪ねて、プライベートリバー(ツィード川)でサーモンを狙う。そもそもこの旅はこのヒューム卿から届いた招待状が発端。その後,単身、ディー川へ。最後に「釣魚大全」の著者アイザック・ウォルトンの愛した釣聖の川”ダブ川”への釣行。はっきり言って,魚はほとんど釣れません。が、これが逆にリアル。釣果に恵まれないフライフィッシング全くのド素人の開高さんの風貌、言動や振る舞いが滑稽であり、醜くもあり、素敵でもある。人間らしさ釣人らしさが浮き彫りとなり、そして、やはり作家らしい表現や言い回しがとても印象に残る映像作品である。 この物語で、なんどもなんども繰り返される言葉がある。それが「STUDYTO BE QUIET」なのだ。 これを見れば,いやがおうにもこの言葉が脳裏に焼き付いてしまう。
そういえば,一般的に開高さんの最後の旅はこのスコットランドとなっているけど、実はそれは間違い。本当はカナダへのスモールマウスバスだったようです。これを知った時は心から驚きと感動を覚えました。さらに、その後、世界のバスを釣り歩く旅の計画を立てていたという。しかも目的は「バスフィッシングの素晴らしさを伝えるため」だったという。もし、この旅が完結できていたら....もし開高作品としてこの旅が文筆物や映像としてしっかり残されていたら...いや、もし、開高さんがサーフェスゲームに夢中になっていたら....。
間違いなくこのサーフェスゲームは今とは違ったイメージを含むことになっていただろう。開高さんのタックルボックスの写真に写っているザラやクレイジークローラー、デビルスホースなんかを見ながら、ニヤニヤと一人そんな傲慢な想像を膨らます。きっとstudy to be quietという言葉も、もっとリアルに聞こえてたことだろう。

-左手の本-
「私の釣魚大全」 開高 健 
これは,はじめて読んだ開高作品。これが見事にハマった。初版は1969年だが自分が読んだのは1979年に加筆そして図版を加え「完本 私の釣魚大全」として出版された文庫版。国内外、釣り歩いて書かれたこのエッセイ集は、その時代に実際に見た釣り文化を見事な描写で記録したルポタージュでもある。今思えば個人的にもっとも影響を受けた釣本ではないだろうか。表現豊かでユーモアある視点からなる話の愉しさは勿論だが、その卓抜した探究心や洞察力から綴られる文明批評や釣りに対する哲学に、それまでの自分の釣りへのスタンスが地盤から揺らいだ。その衝動は急速なものではなく極々自然な変化を促して、精神論などと堅苦しく言うべきではないだろうが、それほどの転機をもたらした。かくして釣りの魅力は底なしのものとなった。もしも、自分に重要な文章に蛍光ペンや赤ペンを引く習慣があったなら、きっとこの本は、勤勉な学生の参考書並みに派手な中身になっていたはず。
この本のタイトルは、言うまでもないがアイザックウォルトンの「釣魚大全」から大胆に拝借している。一応ながら個人的には本家よりもこちらの方が好み。だが同じ民族的感性で書かれたものだからこれは当然といえば当然のことで、そういう観点ではこの2点は全くの別物であっていちいち比べるものでもない。この「私の釣魚大全」はなんといっても日本独自の釣技や文化などに触れるので、距離感も近く、そしてその民族的感性がストレートにくすぐられ良き意味で心憎いほどに翻弄される作品。それにタナゴ釣りの話などを読んでいるとその道具への異常な拘りは、このトップウォーターバス釣りのそれとあまり違わない気がしてググッと強く引き込まれる。玩物喪志とまでは言い切れないものの遊びの為の遊び(道具)への熱中は、間違いなく同種。もちろん他の章にも、あらゆる共感が埋もれている。
こんな愉しい本だが唯一、惜しいことが一つある。それは初版でのあとがきにある。
著者開高さんがこの執筆で何を狙うかを編集者と議論した結果、「ある土地にしかない魚,その土地でしかやらない釣り方,または日本独自の釣技といった事だけを追う事にした」とある。これは間違いなく功を奏している。だがその惜しい部分はその後にツラツラと書かれた計画倒れになった旅だ。
そこには芦ノ湖のブラックバスとあるのだ。メモだけで終わったこの旅。ぜひ実現してほしかった。本当に惜しい。1960年代のバス釣りって一体どんなものだったのだろうか?
さて本題。この本で見た「studyto be quiet」という言葉。それは加筆された、これまたあとがきにある。
ロンドンを歩き回っていたら,偶然に一枚の銅板に出会わした。それはウォルトン卿が晩年に釣具屋を開いていたと言う場所であって 、その銅板に彫り込んであった一句が「study to be quiet」だったというエピソードが正確な記憶ではないとしつつも〆の話として綴られている。また,自身の釣りがこの「穏やかになる事を学べ」という一句からまだ遠いとこにあって,むしろ川辺に立つと穏やかどころか、心乱れてならないと告白している。 納得。共鳴。
そもそも興奮を感動を求めて楽天的に水辺に行くのだから、目的は”穏やか”とは真逆。しかし、どうしたものかこの言葉を知って以来ずっと横目でやり過ごす事ができない。いつの間にか座右訓とし、そして終着点とまで思うようになっている。簡単そうで雲を掴むような厄介なテーマなのだ、これが。

はっきり言ってしまえば、すでに右手か左手、どちらが最初というのはどうでもいい。
思い起こせば,この言葉に翻弄され、"quiet"をどう表現するかと、これまで色々と試み愉しんできたものです。 時にはクール。時には禅。時には科学。時には忍び.........。
もちろん釣りにおいての試行。 このトライアルはこれからも続く事でしょう。
理由なく本能的に大好きなのです。このSTUDY TO BE QUIETという言葉が。
そうそう、そういえば面白いものを発見した。これを書いてる最中に,なにげにアイザックウォルトンの釣魚大全を本棚からだして目を通した。
この本は1996年に出版された立松和平 訳 のもの。確か興味を持った時にタイミングよく出版され飛びついた。
これを買って,はじめて知った事もある。この釣魚大全の原題がthe complate angler or the contemplative mans recreationsということ。
直訳すれば”完全なる釣り人あるいは瞑想する男の気晴らし”かな。まったく煙に巻くようなタイトルです。
発見した面白いものとはこのことではありません。
日本で翻訳された釣魚大全は数種類あります。その中でもstudy to be quietという言葉はどうやらすべてに記されてないようです。
この本にも記されてません。はじめてこれを読んだ時、この言葉が登場しなかったのにとても残念な気持ちになったのものです。その念は個人的にもっとも鋭敏な頃合いの時期だったのでバラした大物のように記憶に消えずに残っている。そんな若気な感覚を少し取り戻して、本を閉じようとしたとき、裏表紙の裏、カバーに隠れた部分にチラッと文字が見えた。恥ずかしいやら嬉しいやら。
はっきりとマジックペンで"STUDY TO BE QUIET"と書かれている。明らかに自分の筆跡。どうやら書かれてないのなら自分で書いてやれと書き足したようだが全くもって記憶がない。

自覚がないという事はより純度が高いということ。

まるで過去の自分からメッセージが届けられた気分。単なる物忘れも、この場合はとても値打ちがある。 特にbeをbyと間違えて書いたのを全く何事もないように平然と訂正してるところが、ういういしい。
確かに昔、静穏な水面に”STUDY TO BE QUIET”という言葉を投じた。これはその時に起こった着水による波紋。 長い長いロングポーズ。その波紋は約15年も経った今も消えていなかった。探求を進めるには、これからアクションを加えていかないといけない。
このタイミングを逃すのと、一生、追い求める大物に出会えない気がする。
それにしても何から何まで、すべてが見えない流れにのまれている気がしてならない。
大袈裟で好都合?
釣りの楽しみなんて千姿万態。自作自演を楽しむ遊び。
流木の如くその流れに身を任せてみます。

もしくは....optimistic mans recreations!!!

補足

開高さんの作品を全く読んだ事がない方がこの文を読むと、この作家がブラックバスと常にニアミスしてるように誤解されるといけないので補足しておきます。確かに「私の釣魚大全」でのバス釣り、ニュージーランド釣行の次の旅路であった世界バス釣り紀行は果たせなかったのですが、80年代に国内外でしっかりバス釣りはやっております。
海外ではアリゾナにフロリダにネバダ。「もっと遠く!」「もっと広く!」「オーパ,オーパ!!」にまとめられています。
国内では池原ダムや琵琶湖。この国内での釣行記は、「カデンツァ・執念深く」という作品名でオーパ オーパ!!シリーズの番外編として残されています。
第一編は池原ダム。1984年6月6〜9日。第二編は琵琶湖。1985年8月1〜3日。
両釣行とも水先案内人は、アウトドアライターの天野礼子さん。
琵琶湖編では、きっと開高作品では唯一であろう”トップウォータープラグ”という言葉が登場するのだが、それは「なかなかいい腕の持ち主でトップウォータープラグをひくひくと操作するのが上手である」とこの天野さんの紹介で記述されている。
他の同行者にはアルバンの佐古さんの名も。
ちなみに池原釣行のガイドはスポーツワールドの浜松さんです。
ぜひともこの釣行の話をこの方々から直接聞いてみたいという願望をずっともっている。
両釣行とも狙いは50アップバスですが、見事に.........。閉口!
気になる方は、自分でお読み下さい。楽しみは置いときます。

2011年1月12日 liberal anglers