reading
introduction


Chapter 2 -側線-

1. magnum zoop vie

2. slide pencil

3. cilc

4. issen

5. Bush assault vanguard

5.Bush assault vanguard

この夏、四国へ飄然とした旅に出かけた。魚に会うことではなく人に会うことが主となる釣りの旅。 水切り石の様に水面を滑る様に跳ねてゆく。その旅の〆に徳島県を選んだ。
もちろん目的はTWJ内藤さん。
今回、前もって僕が希望した釣りは、いつもの旧吉野川でのバス釣りではなく水路でのタナゴ釣り。 愛媛と高知で3日ほどブラックバスをたっぷり満喫したのでお茶漬け的な感覚で緩い時間を〆として楽しみたかった。
朝から前日の舞台”高知”を出発。昼下がりに内藤氏の自宅出向く。
少し曇り空。湿度も程よくいい感じ。久々の再会を喜ぶのもつかの間、この絶好の日和に釣心が騒ぎだしそそくさと準備に取りかかった。
実は軽く嗜み程度にタナゴ釣りをお願いしたが、全くの初体験である。仕掛やエサ等すべてお任せしての入門釣り。のんびりしようと言ってはみたものの、やはり血の騒ぎは抑えられない。嗚呼、それにしても自分の貪欲にはほどほど呆れる。頭の中はタナゴタナゴなのだが、目の前の納屋に納められているジョンボートやカヌーが気になって仕方がない。完全に浮ついてしまった。
その浮浪な行動言動を見かねたのか、内藤氏からありがたい声が。
「一応、バス釣りの準備も持って行く?」

小一時間後、なんて事はない水路の交差点に到着。
ナバロカヌーを被った車から、降りるやいなや忙しく釣りの準備。さあ、いざタナゴ釣りだ。 まずは大筋の水路を探る。反応なし。探れど探れど魚信はない。
初体験でイメージが全く湧かない。こうなるとダメ。じっとしていられない。
竿を持たずにその付近をウロウロしてイメージを探しはじめる。
細い水路、小さな水門、影。「内藤さん、こっちはどう?」。
内藤氏が小さな小さな針に赤虫を刺し、仕掛けを送り込む。
二人で流れに揺れる浮木を眺めてると、突然スーと水中に消し込んだ。アッと言う間もなくクイッと竿を捻るとキラッと水面から光が靡いた。
一瞬の出来事。でも何が起こったかははっきりわかっていた。 遂にご対面。
名はカネヒラ。ケースに入れ暫しご観覧。嗚呼、美しい。想像以上に美しい。
つづけと僕も仕掛け投入。すかさずユラユラと浮きが揺れる。半信半疑であわせてみると、ククッと手応え。やった。
はためく魚を手の平に乗せまじまじと見る。どう見ても小鮒だ。なるほど、そう簡単に釣らせてくれないということか。
その後、少しコツを掴んで調子良く釣り上げていくものの小鮒のオンパレード。
さらにはカダヤシ。 タナを変えポイントを変え色々試すが一向にタナゴの顔を拝めない。
針掛かりした小鮒にもどことなく気の毒な思いも芽生える。
一体どうしたものか。迷走しはじめた。
水面を眺め針に掛かった小鮒を水面でピチャピチャと遊ばせて、ぼんやりと次の手を考える。 すると突然、”パコッ”という音と共に小鮒が消える。 竿は弓なり。
頭は真っ白だが体が勝手にやりあってくれる。水面に姿を見せたのは小ナマズ。
迷走のその先に現れたのはその場所にある日常。
釣れる魚は何でも釣るべきか、それとも.....。
何度かやればわかる。何度かやらないと阿呆な人間はわからない。
一匹目は興奮。二匹目は快楽。三匹目にはもう満足そして違和感。ココロココニアラズ。
やっぱりあかん。熱と言うか覚悟をもたない通りすがりの釣りには釣り人らしからず情けの念に負けてしまう。特に小鮒に...。

夕方、吉野川本流でブラックバスを釣り上げる事となる。
やはり興奮や快楽と共に敬意も慈悲も同等にしっかりと存在しつつ一切曇りがない。

内藤さんとこんな一日を過ごし、BAVのことやプラグ作り、釣りの話しをたっぷりした。
なんというかTWJのプラグには覚悟がある。僕が望む敬意も愉しみもしっかりと存在している。 そんなことが再確認できた。この日の最大の釣果はこの事に尽きる。
そして川面で出くわした鮎漁師と和やかに会話する内藤さんの姿に、これからの日本のバス釣りのあるべき姿と言うか目指すべき姿を感じとれたのも自分にとっては大きな収穫だった。
最後の最後に、夕立に打たれずぶ濡れになるも、これまたいい思い出。

2011年11月15日   liberal anglers



1.magnum zoop vie


計画的にはじまったように見えるこの企画。実のところ,とっても 突発的。ただし、それは時期的な問題であって,起こるべきしてべ きして起こった突発であるのは間違いない。はじめてみればイメー ジは広がり続ける一方。すでにアクションが追いつかず一気に引き 離されてしまった。一応言っときますがこの企画はクワイエットプ ラグをピックアップしたものですが、僕らはペンシルベイト至上主 義といったようなものではありません。確かにこの類のプラグに極地的な魅力を感じているのは確かですが、すべての類のプラグに 個々の魅力を感じますし、その個性を楽しむ心も持っています。
ゲームの中の一つの愉しみということで掘り下げていくといったも のです。そういうことでお付き合いお願いします。

まず、この企画の第一弾となったのはクワイエットファンクのマグ ナムズープヴィー。
一つのプラグのことだけをこれほど数日にわたり考えたことなん て、まあ、いままでなかった経験です。プラグをずっと眺めてると 軽いトリップに陥りました。記憶が閉じ込められてますね、プラグ には。まるで記憶が消されたかのように忘れていた事が次々フラッ シュバックするわけです。ズープがリリースされた2000年は 奈良の二津野ダムによく通った年でした。この年はほんと色々な事件が起こった。 はっきり思い出せないけど下流に向かって左岸を釣り下っていると ダムサイト付近のあるワンドに銀色の謎の物体が沈んでいるのが見 えました。近づいていくと突然眩しい光に包まれて.....って いうのは冗談ですが本当アレなんなんでしょう?サビもせず鈍いシ ルバーの輝きを放っていたあの物体。誰かご存じないでしょうか?まさかUFO??
そうそう,友人の車が水没したのも確かこの年です。
まさにズープに(私的な)歴史あり。

今回この企画を進めるにあたり,久保田さんに色々と話を聞かせて 頂いた。普段聞く事のない事や少し踏み込んだ部分までも。 驚いたり,共感したりとその感動は、エッジオブヴィーというヴィーシリーズのプロトやサンプル等も含めたミニ ギャラリーを店でやってしまうまでに発展してしまった。 改めて久保田さんのクリエイターとしての素晴しさを再確認するこ とができたとってもいい機会となったのだ。
そんな久保田さんと話をしてると、よくある方向へと話が流れてい く。毎回と言っていいほど、最終的にそこへ向かう。
それはお互いにサーフェスゲームに対して抱いているある共通のイ メージ。
それは80年代のトップウォーターシーンの像。
今の 20代10代の若い人達はどうなのかわからないが,僕らの世代やそれ以上の方は 子供の頃、バス釣りに対して、”憧れ”という気持ちをもって向き合っていた方が多かったとおもいます。バス自体どこにでもいる魚 じゃなかったし,ルアーを売ってる釣り道具屋も少なかった。雑誌 などを見て、とにかくその最先端的な雰囲気というかイメージとい うかそういうものに衝撃をうけ取り憑かれていったものです。それ は大人になっても変わらない。古い本をひらいてもこの憧れがしっ かり生きている。ノスタルジックな気分に浸るのとはまた違う感情が溢れてくる。普遍的な憧れと言うか...こればっかりはどうしよ うもない。
去年の末、このマグナムズープヴィーのリリース前に、とても感じ た事があった。それは”なぜ?”ということ。去年、クワイエット ファンクのプロトなど多くの未発売のプラグを見る機会があったの で、このzoopの初期モデルをあえて”なぜ”リリースする必 要があるのかと。
リリース後,この事をなにげに聞いてみた。返ってきた答えは「原点回帰」。何かが心の中で再燃してきたという。 これはとても嬉しい言葉だった。正直ここ数年、勝手ながら個人的にクワイ エットファンクに”らしさ”が薄れていると感じていた。
この原点 回帰というのが”80年代の像”というのははっきり言って NOだろう。
だが、どこか共通するスピリッツを感じさせる"何 か"は明らかにクワイエットファンクの”らしさ”だとおも う。
2011年リリースの、カスタムグリッ プ”FHILOSOPHY"に、NEWロッド"art nouveau"か らは、そのクワイエットファンクらしさがビンビンに伝わってくる。そして、次作のプラグ"ゴルディーニ”は、もうクワイエットファンクワールド全開。
これからQFは、どこへ向かうのか。何を見せてくれるのか。楽しみでならない。
STUDY TO BE QUIET FUNK! 目を離すべからず!!

2010年12月27日   liberal anglers


2. slide renccil



仕事場らしい仕事場でもあり、秘密基地っぽくもありと、こんなよ くわからない表現しかできないがライフベイトの工房はとても男心 +子供心がくすぐられる。今まで色々なビルダーさんに会い,工房に お邪魔したけど本当にルアーのイメージとビルダーの人柄ってのは よく似ていて、工房もしかりなのである。ライフベイトの工房は、 とても効率的にまとまっていて、飾り気などもないのだが決して殺 風景ではなくまさにルアーと同じ感じ。何度か訪れるといかにもライフベイトらしいとそんなことになってくる。それは、コマツさん の人柄がプラスαされるからってのも大きな要因。お邪魔する度に 「これ見てこれ」「これどうおもう?」「これエエやろう」ってな 感じで、次々に色々なものを見せてくれたり、話を聞かせてくれるので、好奇心が大きく揺さぶられっぱなし。自分も釣り好きであり 大の道具好きだから気付けばいつも長居。ご存知の方も多い?と思
いますがコマツさんは強烈なライトマニア。知識もさることながら その熱心さには、頭が下がります。また,タックルセッティングなどにもとことん情熱的。「ちょっとキャストしてみ」と、工房の前 で試投。「どうよ、この投げ心地!このグリップにこのリール。そ してこのロッド。完璧やろ」ってあんばい。些細な発見もコマツさ んにかかればとても感動的な大発見になる。ある意味マジックですホント。あのめっちゃ眩しいライトのような視線で、隅々にまで しっかり目を向けるその感覚。それがまさにライフベイトのプラグ にも生かされている感じがする。
よくシンプルシンプルって言うけど、シンプルっていうのは決して大雑把なものではなくて、それは 実はとてもピンポイントであって、ものによっては針の穴くらいの 狭きポイント。世の中でシンプルと言われてるものは,実際ほとんどシンプルに満たない、または、超過したものばかり。シンプルってのは、過不足のないとても際どいバランスで保たれたもので、 ちょっとブレれれば、そのバランスは維持できない。その辺がライフベイトは、絶妙やなあってずっと思っていました。
でも、いまで は、すべて納得できる。モノの裏に人ありきということです。

今回、スライドペンシルのことをアレコレ聞いてみたのですが、聞 いてるうちに..自分もそうなんですが、やはりスライドという動きに対する欲求って、面白いよなあって、改めて思った。この際なので釣り仲間達にも改めて質問してみたのですが,やはりみんなそ う。とても釣りの問答ともいえない回答が続出。誰一人、釣魚との関係を口にしなかった。アレコレ,話しを続けるとおのずとそっちへ向いていくのだが、優先順位で言うと,皆、そこは後回しになる。
去年のworksにやってきた外国人の釣り具屋さんは、日本の トップウォータープラグを見て驚いた。そして、日本にはトップ ウォータープラグだけ使用してバス釣りを楽しむという遊びの文化 が規模は小さいながらも根付いている事を説明すると、理解はできないけど、それはとても面白い文化だと興奮していた。彼らはル アーというものにタクティクス、つまり戦術的なものしか求めたことがないと言った。それはとてもストイックな面が突き出た限りなく漁に近いゲームフィッシングを楽しんでいるからだ。彼らに、僕
らが欲しているあの魅力を伝えるのは難しいのでしょうか?いや,そんな事はない。彼らはこのスタイルが日本でもマイノリティなバ スフィッシングとわかっていながらも先に行ったフィッシ ングショーより興味深いと言って帰っていった。あの言葉にはなんというか可能性のようなものを感じました。とても嬉しかった。あれから本気で考えるようになりましたねえ。いつか、外国へ広めたいって。その時がくれば、きっとこの釣りの、そしてプラグ達のタクティクスの高さにも驚くことでしょうねえ。
空手、寿司、相撲、柔道........サーフェスゲームとなる日は,そう遠くない(笑)!
study to b quiet 第二弾はライフベイトのスライドペンシル100。
この製作の依頼をしたのは去年の秋、コマツさんとQFズープ 誕生のリザーバーへ釣りに出かけた時のこと。そして例のバックウォーターで、バスが襲いかかったのはzoopじゃなくスライ ドペンシルだった。ちなみにマグナムズープ発売前の出来事。
何が言いたいかと言うと、なんか物語的なんですよこのプロジェクトは、ってこと。

2011年2月2日   liberal anglers


3.cilc

漠然としている。
チルクに数日の集中を捧げた。ほんと、クワイエットプラグにはまだまだ発見がある。
すべては漠然としているのだけども、おかしなもので明確な漠然。だからそんなことを文字で表現できるかなって期待して手を出してしまうとこんなことになってしまう。ライナーノーツのあの漠然さはそういうことです。その筋の作家さんライターさん達はこんなことを生業にしてるのだから、さぞかし大変でしょう。努力か天性か?!考えただけでゾッとする。同じくその漠然としたルアーをつくる人達の情熱とにもゾッとする。
チルクってのはほんと曲者。言い方変えると”例外”のお手本。
全然、魚信がない時にこのチルクにだけバスが反応したって話が多かったり、ペンシルベイトなのにキックバックしたりとか、”例外”が目立つ変な奴です。チルクの思い出にこんなのがあります。思い出っていうものでもないのですが....。ロットンがニンナを取り扱いさせて頂きはじめた頃、うちにやってくる釣り人達はほとんどと言っていいほどニンナのことを知らなかった。知っていても情報はただ関東のブランドってだけ。本にもでないしHPもないし、謎だらけ。そんなブランドのルアーがロットンに来てくれる釣り人の中で突然の広がりをみせた。”誰々が言ってた” ”誰々から聞いた" ”誰々が使っていた”
店で、そしてフィールドで........。このデジタル情報社会において、規模は小さいもののいわゆる”口コミ”という網が自然発生したのだ。 その時のルアーがこのチルクだった。混沌とした情報網の中でのこの出来事は正常か異常どちらかに振り分けるとしたら、間違いなく健全な正常。なんともいえない気持ちよさに懐かしい気分になった。そう!小学生の頃って、そうだった。ルアー選びは全部”人伝え”だった。今ではそういうのは例外になるのでしょうねえ。なんか不思議な魅力がありますよニンナには。
今回のチルクのリリースはあの大震災の数日後となりました。完成し、意気込んでリリース日をきめた瞬間のあの悲劇。 世界中が悲しんだ。すべてがパニック状態で自粛モードにあったので、当初、ニンナ松山さんと発売の延期の話しもでましたが、考えたあげく変更せずに予定通りリリースすることにしました。
それは、studyto be quietシリーズだったからです。 いまさらですが、このコンセプトはあのウォルトンの釣魚大全が発端となっています。 以前どこかであの本の凄さは、幾多の戦争や災いを乗り越え、そういう時こそ強く求められ読み継がれてきたところにあるということ読んだ。それが釣りの聖書だといわれる由縁だと。
今回の大震災はきっとこの時代この日本で生きる人々にとって、もっとも悲しい出来事の一つとなることとおもいます。そして、これからこの困難や悲しみを乗り越えていかなければ道をひらくことはできません。人は悲劇や困難や過ちを乗り越えるときがもっとも大きな一歩で前に進む時だとおもいます。
その為には何が必要か?それは先人の経験から多くを学ぶことができます。勿論、このウォルトンの釣魚大全にも直接的ではないにしろ何かが埋もれているはず。そうやってこの本は世界中で読み継がれてきたのだから。
でも、釣り人にとっては、本を読むなどというのは、遠回り。釣り人にとってこんなときこそ釣りに行くことが最善だと思います。
釣りには人にとってとても大切な部分を刺激する”なにか”があるはずです。そう信じています。 だから、このSTUDY TO BE QUIETという冠をつけてのリリースとなるチルクは、世間がどういう状態であっても世に出したかったのです。メッセージという意思表示というものではないが、せめて自分自身とこの企画に興味を持ってくれている方々の平穏を取り戻すためにもそうしたかった。
チルクに捧げた数日間は、震災と釣りの話を松山さんと沢山した。そしてフィールドでチルクを動かし、眺めた。
それらはすべて、僕の中ではSTUDY TO BE QUIETという言葉に集約されている。

今年は何かと大変な1年になりそうです。が、落胆的な気持ちは一切ない。
少し落ち着いたら、松山さんと釣りに行く約束をした。
今からとても愉しみです。

2011年4月5日   liberal anglers


東北関東大震災で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
また被災にあわれ、お亡くなりになられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。


4. issen


作者の福馬健。健とかいて「たけし」と読む。
開高さんと一緒なんですよねえ彼。

2011年、今年の一匹目のブラックバスはイッセンだった。
これはたまたまじゃなくて意図してのこと。
これで釣ると決め、釣れるまで他のプラグを使わなかった。そもそも、道具ありきで楽しむのが自分流なんで、これといって特別なことでは無いのだけれども。
それにしてもイッセンはクセが強くつかみ所が無い。そのはっきりと確定できる”わからなさ”が僕としては面白い。
そんな念を背負って工房へ足を運んでみた。そこで見慣れないルアー(他社)を沢山見せてもらった。そのままテストフィールドへなだれ込み、イッセン生みの親のその正統アクションを見せてもらった。あれあれ。大袈裟にいうとこれって別ジャンルじゃないのってほどの印象を受けた。このギャップを刺激と取るか、蚊帳の外に追いやるか。これが確定的な”わからなさ”の正体だったわけだ。一人納得。
今回イッセンに絡んでいって改めて強く感じたことがある。それはプラッギングにおいてのアナログ的というか手作動的な行為が釣り人に託されることの奥深さと面白さ。
近頃は、やはりオートマチックルアーが主流。よく釣れるのし、操作も巻くだけと簡単。漁具的な観点でみてもこれはもう人類の大発明といっていいんじゃないかと思えるほど限りなく否を排除した釣道具だとおもう。でもその代償として決して併存できないテイストを削除しなければ成り立たない。そのテイストは魚釣りには絶対必要?と問われれば決してイエスだとは断言はしないが、少なくとも自分には必要かな。そんな再確認をイッセンから得られた。
見た目とてもデジタルチックなのに、実はかなり原始的な木片だったりする。
その辺が遊び心をくすぐられる。
2toneのすべてのルアーに限ったことではないけど、こういった感性を時折、見せてくるところが心憎いのです。
そんな2toneですが、ブランド発足してもう8年目なんですね。世間的にどこかいまだ新人扱いされてるところがありますが...(笑)
トータル的にクオリティーもハイレベル。モノを見れば、その経験の積み重ねは十分に感じれると思うのですが、何故でしょう?
それっていまだ新鮮さを保っているということなんでしょうか?
もしくは進化途上で全貌がいまだ見えないから??
まあ、不可解な掴みどころのないブランドであるのは間違いない。
そういえば2toneって、なぜか同業の方によくチェックされているんですよね。
音楽業界でいうミュージシャンズミュージシャンみたいなものでしょうか。
ビルダーの方と釣りに行ったりお店で話をしてると、よく2toneの話題がでてきます。
ライフベイトのコマツさんなんか、2toneの営業の人?ってくらいに大絶賛。
そんな意味でも面白い存在ですねこの2toneは。
て、いうか人なんですよ。詰まる所は。
2tone福馬君と色々話をしていて、改めて感じさせられた。
つかみ所のない(僕にとって)この作者あっての2toneだって(笑)。
これまで沢山のルアービルダーにお会いしましたがほんと作者とルアーってリンクしています。まさに分身です。
そういえば最近、彼ら(2tone世代のTOPWATERPLUGGER)と話していると、このスタイルって多様化したなあってすごく実感する。
同じ水面を舞台にしていても、考え方や価値観に明らかに距離を感じる。
それを古いとか新しいとかそんな時間軸では片付けるのはナンセンスな話なわけで、その距離がどんだけ開こうがそれもサーフェイスゲームなわけで。
でもって決して『溝』ではないわけで。
文化がこうやって変化していくのは必然なことで必要なこと。
しかしながら、その距離が刺激と感じれる“新しい”柔軟な自分がいる一方、それを拒絶したい”古い”頑固な自分もしっかりと心にいる。
今回、このSTUDY TO BE QUIETシリーズで、全く過去の遺産に興味を持たない2TONEにクラシックな色を塗ってもらいました。これは僕らの趣味でもあるけど、無意識にそういうことの心の現れだったのかも。ひょっとしたらミスマッチかという不安もよぎりましたが、とてもベストなものが出来上がったと思います。なにか、2toneの見えざる部分がみれた気もします。そして、なにより例の距離が少し縮まったような安心感も感じた。
なんや、まだ、手の届くところやんっていう安堵。

さてさて2TONE。今後どこへ向かうのか.......。
僕は世代は違えど同じ時代を生きるBASSERとして2toneを最後まで見届けてみようと決めた。