とある事情でアメリカの片田舎に。
どうにか時間を作り、街を散策。勿論お目当ては釣具屋さん。朝から這いずり回ってようやく見つけたその店は今にでも閉店してしまいそうな古びた佇まい。
テントにはLIBERAL FISHING TACKLEとある。どこかで聞いたような名だ。恐る恐る中へ入ってみる。即座に言葉を失った。まるでタイムトリップしたかのよう。これぞアメリカンバスカルチャー。ところ狭しとルアーがずらり。見たからに古そうなものや全く見慣れないルアーばかり。これほど多くのアメリカンルアーを目の当たりをするとこれが釣り道具?と呆れるぐらい嬉しくなる。 本気か?冗談か?こんなもんで釣れたら楽しいだろうなあ。 ウワァ...オオ....思わず声が漏れる。そんな興奮状態のジャパニーズに白髪頭のおやじが嬉しそうに近づいてきた。何か喋りつつそのまま店の奥に向かいホコリまみれの段ボールを引っ張りだした。 そして中から、満面の笑みであるプラグをとりだした。 そのプラグはまだパッケージに納まったまま。ボディが左右にずれた風変わりな形をしている。一体何なんだこれは?呆気にとられる。

大笑いするシニアバサー。だが、目は笑っていない。とても訛りの強い英語で捲し立ててくる。
「お前にこれが使いこなせるか?」
僕は迷わず段ボールごと売ってもらい日本に持ち帰った。そして即座に釣り仲間に知らせる。
”面白いものを見つけたぞ”と。
お察しの通りこれは単なる空想です。しかし、我ながらとても心が躍る作り話。
そもそも、そういうことではないのでしょうか?人により世代により感性の違いはあるにせよ、僕らのサーフェイスプラグへの熱狂の根源にはやはり「こんなもので?」という懐疑心や意外性が必ず潜んでいるはずです。そしてそれを覆したいという欲求によってこのスタイルに執着しているといってもいいのではないのでしょうか。よくよく思い出せば、子供の頃、ルアーフィッシングにハマったのもそんな気持ちからだった。それまで鮒やハゼしか釣ったことがなかった少年が釣り道具屋に並ぶ数々のルアーを前に不信感一杯に首を捻った。だが、こんなもので釣れるはずはない!と疑いつつも胸をドキドキさせながらフラホッパーを夢中に投げ続けた。
近頃、そんな気持ちをどうも忘れかけているような気がする。
サーフェイスゲームの愉しみ方は半信半疑にあるんだ。そしてブラックバスという魚は僕らが思っている以上にもっともっと型破りな魚なんだ。
それを覆す道具。証明する道具。そんな道具がやっぱり大好きだ。





genuine recordのビルダー平山さんは常々言う。
「レコードのプラグはバスを釣る為だけの道具ではなく、バス釣りを楽しむ為の道具」と。
それを踏まえて、レコードのプラグと接すると作り手の思惑がとても伝わってくる。おかしな風体、恐ろしい顔、戯けた顔、穴だらけのもの、タイル模様とどれもこれも水面を華やかに彩る。なかでも、69の異色な存在は、楽しむことを前提にしたレコードのスタンスがギュッと凝縮されている。というかそれはもう行き過ぎと言ってもいいほどだ。まるっきりベイトフィッシュを無視したデザインに基本的なアクションを限りなく排除するようなセッティング。上下左右に使い手の意思を全く無視して動く。一体なんなんだ?決して効率的にはよくない。しかしそれでもブラックバスは襲いかかるのだ。かなり強引に言ってしまえばバスをキャッチするのに遠回りさせられるようなプラグなのだ。だがそれがレコードの狙い。69の愉しみ方はその遠回りにこそあるのだ。
これがレコード的ブラックバス釣りを楽しむ為の道具の一片なのだ。

だいたいこのプラグってなんなんだ?
69をレコード平山氏にSTUDY TO BE QUIETシリーズとしての製作を依頼した時、とても躊躇っていた。それはそうだろう。クワイエットファミリーといえばやはりペンシルベイトをイメージしてしまう。ペンシルベイトと言えば操作による様々な演技力に長けているのが特徴。そんなクワイエットプラグのイメージとはほど遠いプラグである。本人曰く「ノージャンル」だ。それでも、あまりカテゴリー分けってのは好まないが、僕はこのプラグを独断と偏見でクワイエットプラグとした。
そもそも、クワイエットファミリーというのは、日本の先達たちの造語。情報希少な時代だからか僕の知る限りではかなり大まかな定義しかされていない。 しかも、もう30年以上前の言葉で、今ではほとんど死語となっている。もう時効といってもいいだろう。この言葉に敬意をもっていれば新たに定義を組み替えても、誰にも文句は言われないはずだ。
まずこの69をキャストする。自分が投げといてなんだが、けったいなモノが水面に浮いている。波紋が消えるのを待つ。 ロッドを煽り、プラグにアクションを与える。イメージした動きは全く無視さる。69はひとりでにもがく。
ビクッ。ピクピク。モゾモゾ。不意にクイックイッとターンをこなしたと思いきや次の瞬間、目の覚めるようなキックバック。すべてが意図に反する動き。 一般的なプラッギングワークの観点でみればこのプラグは「動かない」といえる。まるで暴れ馬だ。よっぽどの集中力と根気をもっていないとこのプラグとは付き合いきれない。だが、ある一線を越えると、この一連のありさまになぜか引き込まれていく。あげくは、この如何ともしがたい半信半疑なプラグでなんとかしてバスを釣り上げたいという欲求に駆られる。
キックバックや不規則なダイブなどはダーター的ともいえるが、その柔らかな動きはいまいち攻撃性に欠ける。それよりもその個性を最大に引き出すには、自然の静謐を一切乱さないでアクションを狙うのが好ましいと考える。時折見せるスライドやターンに可能性の片鱗を感じつつ脈を合わせていくことでプラッギングの愉しみも数段増すはずだ。夢中になればなるほどそのアクションは地味なものになっていく。集中すればするほど繊細なものになっていく。とにかく要求されるのは心の平穏。この69がもたらす一連の状況。これが独断で69をクワイエットファミリーだという訳合いであり、新たに持ち込んだ定義だ。

だいたい、何がどうなってこのプラグが生まれたのか?
探ってみると、微々たるものだが思わぬ一致。このプラグを見て、何気に湧いてきた冒頭の作り話。個人的なアメリカンルアーへの強い憧憬がもろにでた空想ですが、実はこの69にはアイデアソースとなったプラグがあり、それも古いアメリカンルアーだったという。それは1920年代のMoonlight社のlittle wonderというプラグ。ご存知の方、興味のある方は、洋本なりを見漁って見比べてほしい。そういわれて見ると何となく面影はあるが、そんなこと聞かずに見るとまるっきりの別物といえるでしょう。あくまでインスピレーションである。このプラグからヒントを得て作り上げたあるプラグが69へと変異していったということだ。元々、出来上がったのは下あごが特徴的な3Dデザインによるプラグだった。しかし開発当時の2000年頃はまだ3Dデザインを量産できる体制が整っていなかった為、生産に踏み切ることができずあれこれ手段を模索せざるをえなかった。そこでひらめいたのが69のカラクリ。ブランクを上下真っ二つに割り向きを変えてずらして合わせる。元になったプラグとは若干かけ離れたが結果的にとてもユニークなデザインとなった。まるでクリスチャンマークレーばりのレコードの張り合わせである。ここから、アクションを導くためのセッティングにはいる。アクションと言ってもあの例の動きである。とても理不尽なセッティングだ。ウェイト位置、ラインアイどれをとっても確信犯である。おまけに使い手への選択枠として後部にもラインアイをセットし逆引きのB面をカップリングしている。こちらにラインを結べば容易にターンベイトとして使うことが可能だが、これは決してレコードの気のきいた計らいではない。むしろ逆。妥協への誘惑である。本来のラインアイに結んで釣ってこそという喜びを増幅させるために付けられた色仕掛けだ。この誘惑に負けずにあの如何ともし難い動きに付き合って手にしたバスの価値を上げようという愉しみ方の提案だ。そんな漁具としての方向に背を向けたプラグだが、ただ一つだけこの時点でルアーらしい動きがビルドインされている。それはリトリーブによる水面直下でのスラローム。この動きだけは容易で精度も高いのだが、これはサーフェイスプラッガーにとっては、薬味みたいなものにしかならないだろう。
こうして理不尽なプラグ"Sixty-nine"は完成したのだ。
これまで2001年、2003年のレギュラーリリースとショップオーダーでのリリース、計3度制作されている。

だいたい、何故こんなものを作ったのか?
他の釣りには決してみられない遊び心がブラックバスのルアーフィッシングにはある。レコードはその遊び心を最も重要視する。 「レコードのプラグはブラックバス釣りを楽しむ為の道具」何とも、初心に返らされる言葉だ。
そこには、平山さんが子供の頃から敬愛するハトリーズの影響が強く感じられる。昔、ハトリーズのプラグには難易度なるものが表示され使い手を挑発して楽しませてくれた。そんな自身が過去に味わった洗礼をループさせたような煽りを69から感じとれる。
しかし、あの理不尽具合はそれだけの動機でないはずだ。今さらながら、あることに気がづいてしまった。
随分と前、自宅にお邪魔して昔作ったプラグは見せてもらったことがある。いっちょまえに年号まで入ったものも多くちょっとした歴史がうかがえた。 目も当てられない1980年代後半ものから徐々にそれらしくなっていく成長にはちょっとした感動があった。それらは自分が使う為に作られたものだが、その頃から”楽しむ為”という方向性は一貫されていた。
確かその時だったはず。「何故、ルアービルダーになったのか?」と質問をした。はっきりとは記憶していないが、その答えにはとても感心させられた。 それはおおよそこんな答えだった。
自分が作ったプラグが知らぬところで友人を介し他人の手に渡ってしまった。そして、後日報告を受けた。その人があのプラグで50アップ釣ったと。 そのことにとても興奮を憶えたという。それを機に積極的に自分の作ったプラグを周りの友人などに使ってもらうようになった。そして、釣果報告を受けるごとに快感を憶えていった。プラグ作りは個人的なバス釣りの愉しみの一つとしてやってきたが、他人にそれを使ってもらってブラックバスを釣ってもらうことがこれほど楽しいこととは.....とそうやって味をしめ本格的にのめり込んでいったのである。そのあげく、1995年あたりから販売をはじめ、2000年よりジェニュインレコードとしてブランドを立ち上げ、さらに多くの人に使ってもらおうと全国展開をはじめたのだ。何とも純粋なストーリーだ。
「レコードのプラグはブラックバス釣りを楽しむ為の道具」。常々、平山さんは口にする。
ここで今一度、ビルダーを目指した動機とこの言葉を重ねてみほしい。何か引っ掛かからないだろうか。
この言葉にはなにか裏が感じられる。
平山さんは夜な夜なレコードユーザーからのブラックバスの写真と釣果報告を待つ。これが愉しみの一つとなっている。 そして届いた一報は酒の肴にもなり、発散にもなり、至福となる。その喜びは、平山さんにとって紛れもなくバス釣りの愉しみ方の一つなのだ。 ということは「レコードのプラグはブラックバス釣りを楽しむ為の道具」この言葉ってひょっとしてアウトプットではなくインプットな表現.......?。
もし、そうだとするとこの69は大いなるいたずら?意外性や懐疑心をオーバーに詰め込みプラッガーの困惑する姿を愉しむために作ったということか? きっと、このプラグを手に入れたプラッガーは、ブラックバスを釣り上げるのにひと苦労するだろう。目に見えて遠回りさせられるのだから。そんなことをあれこれを想像しながら、あのビルダーは酒の肴を待ち望むだろう。
69を襲ったバスの一報に「よく釣ったなあ」とほくそ笑み、バス釣りの愉悦に浸るビルダーの姿が目に浮かんでくる。

これはあくまで、勝手な推測である。
この件について本人に真相を聞くのは.....敢えてやめておこうとおもう(笑)。結果的にはあの喜びは僕らも共有できるのだから、このままそっとしておこう。人それぞれ、密かな愉しみってものがあるもんだ..........。

ともあれ、罪はないが悪い男だ。
平山真一という釣り人は。

トップウォータープラッガーの多くが、意固地な性格なのをよく知っててこんなものを作るのだから。

だが誤算だっただろうに。まさかこの69がクワイエットの範疇に放り込まれるとは考えもしなかっただろう。
これで難解なプラグは、単なる難題なプラグになったわけだ。

”STUDY TO BE QUIET” 平穏さえキープしてれば、こんなプラグも、なんてことはない。
あのLIBERAL FISHING TACKLEのオヤジにも言ってやりたい。

”No problem!! catch more bronze back!! ”

 


...........................................................................................................................................................................................................................................................................rotton




Study to be quiet 08

genuine record

sixty-nine




modernism

 




horror