「贅を尽くす水の遊び」
サーフェイスゲームをこう表現したのは、物書きであり、ぐうたら釣り師である三浦修氏。
これほどズバッと的を射抜いた言葉は他に見当たらない。 ここで言う”贅”というものは、決して無駄な贅沢物ではなく身を削るに等しい精神。最高の高揚感を得るための手段ともいえる。
釣りというものは、まず魚を獲るという大前提がある。誰しも釣りをはじめた頃は手段なんて選ばずとにかく魚を釣り上げることだけに熱中したはずだ。 だが、ルアーフィッシングに出会い、そしてサーフェスゲームに出会うとどうにもこうにも、おかしな事になってくる。
「誘惑」という名の道具に新たな欲求を強いられるのだ。その欲求は膨らみつづけ、やがては粋狂、あげくの果てには前提の上にまでのし上がる。 その野心は手段を選び、道具を選ぶ。そしてシチュエーションを選ぶ。さらには、より感動を盛り立てるためのプロセスを描く。 この”贅を尽くす水の遊び”という表現の裏側には、まさに釣り人の心を潤すいくつものプロットが隠されているのだ。
なかでも道具、これに対するトップウォータープラッガーの執着には独特な解釈が見られる。
この釣リ道具に対する世界観、比類なきものかと思いきやぐるりと見渡してみるとどうもサーフェイスプラッガーだけに限られたものではなさそうだ。と、いうより日本にはどうやらそういった釣観が遺伝子的にとっくの昔から存在しているのだ。その源流は江戸時代にまで遡る事もできる。当時のタナゴ釣りなどの遊漁、すなわち娯楽としての釣りでは、すでに釣果とは決して直結はしない装飾や趣が盛り込まれた釣り道具が製作され親しまれているのだ。その流れは現在でも江戸和竿の脈々と受け継がれる伝統などからも見てとれる。釣果はもちろんのこと釣りを取り巻くありとあらゆる断片に付随し、至福を奮わすその価値観は、日本の遊漁には欠かせない遺伝子といえるのだ。
しかしながら、現在の一般的な釣りの印象はやはり漁としての釣りが昇華して発展した色が濃い。それはその思考や道具や主義においても窺う事ができる。そこには歴然とした隔たりがある。今や釣り人の心にはとりどりの琴線が張りめぐっているといえる。
そういえば、数年前、海外の釣りにもそういう傾向にあることを実感した。
2010年に僕らは「works」と銘打って日本のサーフェイスプラグを1000個以上集め額に納め展示するというエキシビジョンを試みた。そこにやってきた珍客。オーストラリアで釣具屋を営む夫婦だ。同日に開催されていた大阪フィッシングショーに合わせて来日。偶然にもworksのwebを見つけて足を運んでくれた。彼らは、どう見ても”驚きの顔”を隠せていなかった。ちょうど英語が堪能な友人がいたので通訳をお願いして感想を聞いた。
「僕らは釣り道具にタクティクス(策略)しか求めていない。アートや装飾といったものは考えもしない」と言い放った。 やはり釣り道具は釣り道具なのだ。当たり前だがそれが妥当。一般的な日本の釣りのフレームも同じくその構造をもっている。 だが、決して感性とは固着したものではない。観念とは別の場所にある。
すかさず彼はこう付け加えたのだ。
「しかし、ここに並んでいるルアーはとても興味深い」と。結局、3時間ほども和製ルアー達に釘付けになっていた。 奥さんにいたっては、「フィッシングショーより魅力的なショーだった」と言い残した。
彼らの観念を日本のサーフェイスプラグの魅力が呑み込んだのだ。 この日本のサーフェイスゲームとその道具に誇りのようなものを感じた瞬間だった。改めて言うが、やはりこのサーフェイスゲームという釣り文化は日本オリジナルだ。そして僕らトップウォータープラッガーは本来、日本の遊漁がもっている側面的な遺伝子を少なからず、そしてしっかりと受け継いでいるのだ。ただ、アメリカからやってきた魚とその国で培われた道具によってその琴線が弾かれたという異色な経歴をもつ風変わりなスタイルなのは事実。が、それを肯定した上でも日本人ならではの観念『粋』と呼んでみても全く遜色はないはずだ。たとえ和の正統筋から異論があがったとしても、そこは媚びずに現代日本人としてのプライドで押し通したい。

では、僕らは道具に対して何を求めているのだろうか?とりわけルアー=誘惑という名の道具に対して。
タクティクスな部分はとりあえず解体し取り払ったとして、一体何が残り、何が熱狂を奮い立たせるのか。
まず第一インパクトは視覚から飛び込んでくる。よって、やはりデザインや塗りの個性などが真っ先に挙げられることが多い。それはそれでひとまずは確実なものといえる。だが、永続性のある絶対的な地位を占めることはなく一片の素質であり要因そのものではない。たとえば演奏が見事で旋律が美しい楽曲が必ずしも名曲だとはいえないのと同じだ。もっと包括的に充満するクスグリが存在する。それは「味わい」や「風格」といった、実際には言葉で全貌を形容しきれない匂いのような漂いではないだろうか。勿論、一概に言うことはできないが、多くのルアーマンの釣り心には間違いなくその感覚が屹立しているはずだ。そしてその矛先は「格好良さ」といったようなストレートな美的感覚を有無も言わさず貫いている。同時に、その漂いはさらなるインスピレーションを齎す。重要なのは連想。ルアーフィッシングは連想ゲームに近い性質がある。ルアーそのものが、どれほどフィールドや水面を割るブラックバスのイメージを彷彿させてくれるか、そしてそのルアーでバスを釣り上げた瞬間の喜びまで連想させてくれるか、これも重要な熱狂の源と言える。
この動機となり欲求となり喜びとなりうるクスグリは、魚への直接的な投げかけではなく釣人の想像の範疇にあってこそ面白いものだ。ただし、その向かう先が、確実にタクティクスへと旋回していなければ、まったく色気のないものになってしまうというのもこれまた面白い。
その上での様々な反映も見る事もできるが、これ以上の個人的な詮索は逆に吟味の邪魔となる。
なぜなら、釣り具は釣り具の範囲を出るべきではないからだ。

個人的にそんな琴線をギターの如くかき鳴らしてくるクワイエットプラグが数年前に現れた。
パーマネントバケーション 「エルジーン」である。
トラディショナルな風格。美しい外観。そして無性にバスを釣りたくさせる”なにか”。
思わずニヤけさせられるプラグだ。自分の生きるこの時代、しかもここ日本でこのようなプラグがしっかりと造られている事実。 とてもうれしい事だ。

パーマネントバケーションは群馬県発のサーフェイスプラグブランド。2008年より本格的に始動した。
シンプルながら圧倒的な存在感を放つその風貌が注目を集めている。

このエルジーン、平たく言ってしまえばトラディショナルなプラグだ。ざっくりとヘドン社のざらゴッサタイプと言ってもいい。 散々見慣れたこのデザインなのだが、なぜか深く見入ってしまう。カラーリングがフォルムの美しさをくっきりと浮かび上げる。そしてそのフォルムがカラーリングに何とも言えない深味を与えている。絶妙な佇まい。。見蕩れるとはこういうことだ。
歴史を刻み込んだもはや遺産ともいえるへドン社のザラゴッサ、その存在を踏襲しているものの、その風格とは、またひと味違う引力を持っている。 言ってしまえば例の遊漁における伝統的な日本人的遺伝子が奮わされるのだ。無意識のツボというやつ。それはアクションにもはっきりと映りこんでいる。オールドルアーに熱をもっている方ならザラゴッサといわれるプラグを一度は動かした事があるだろう。時代時代で様々なタイプが存在するが、一貫して決して扱いやすいプラグではない。そう思えるのはなぜか?それは日本の”滑り”というものが確立されているからに他ならない。 無意識ながらもゴッサタイプという先入観をもってこのプラグを投げた自分はワンアクションで裏切られ喜びが湧いた。 日本のトップウォータープラッガーならではの感覚”水に絡む”という心地よい感触が手元まで伝わってくる。とくにバランスの良さに安心させられる。まさしくニッポンメイドの動きなのだ。
エルジーンの仕組みを少し作り手に聞いてみた。
面白いことに3点ウェイト設定。 前方にスライドアクション、中間にバランス、後方にキャスタビリティーとそれぞれの役割を意識して様々なウェイトセッティングを素材や比重などと共に試行錯誤したという。勿論シビアなセッティングにつきものの癖も視野に置いてサンプルが積み上げられている。 ルアーのセッティングというものは無限に存在する。明確な指針を持っていないと着地点は見えてこないもの。エルジーンの動きの指標となった筆頭は、あの日本を代表する2大名作クワイエットだという。ビッグラッシュの演出力そしてインナーハンドWBの扱いやすさや水へのまとわり。そこへ軸足を置き、さらに今まで使った名作と呼ばれるペンシルベイトのエッセンスを独自に集約しザラゴッサのフォルムイメージに落とし込むというのがトータル的な創作意図ということだ。遺伝子という意味をもつエルジーンという言葉がこのプラグに名付けられたのはこういうことからである。そして、そこからもう一つある地点を目指している。それはファーストアクションの確実性とロッドを選ばない汎用性。この部分にとても”現代”を感じる事ができる。

トップウォーターロッドはここ数年、劇的な変化を見せている。10年ほど前まではトップウォーターと言えばグラスロッドの6フィートというのが標準だった。それが今ではグラスロッドは完全にその座にはない。グラスロッドに変わりカーボンロッドまたはコンポジットロッドが広く幅をきかせている。そしてレングスもどんどんとショート化が進んでいる。これはしかるべき変化といえる。釣り道具はフィールドや戦略に照準をあわせ進化するもの。裏を返せばサーフェスゲーム自体がさらなる一歩を踏み出し多様化してきているという事実がそこある。すべてはその表れなのである。クワイエットプラグのアクションはロッドアクションによる作用範囲が大きい。様々なロッドへの対応性を意識するということは、まさに近年のサーフェイスシーンを象徴する視点だ。
エルジーンはこの幾多の指標の先に形造られ、そして新たな息吹を吹き込まれ完成するのだ。
もちろん新たな息吹とはいうまでもない。エルジーンいやパーマネントバケーションを語る上で決して外すことのできない個性であるカラーリングデザインだ。その鮮やかで印象的な色使い、そして精巧な装いには、無条件に心がグラッと揺さぶられる。これはまさしく遺伝子レヴェルの刺激。個人的な見解だが、この手の魅力は、決してナチュラルではない。だが、フィールドに持ち込むと見事に溶け込んでしまう不思議な側面がある。ある種の透明感を持ってると言ってもいい。これこそまさに「粋」 この一言に尽きるだろう。
この衝動は、ビンテージアメリカンプラグに感じるそれとは全く異なる。やはりあれによく似ている。日本の伝統的遊漁釣り道具の装飾に沸き上がるあの興奮に。静謐な漂い。これこそまさしく”贅”ではないだろうか。
パーマネントバケーションの松田氏にカラーリングの事を聞いてみたが、至ってシンプルな答えがかえってきた。
「自分が欲しいと思えるものを形にしただけ」
この言葉の前では他人のどんな能書きも意味を持てない。「拘り」という言葉も無意味だろう。
そう、これほどわかりやすい言葉はない。すべてが純然な欲求から創作された産物といえるだろう。
まさにエルジーンなのだ。

-贅を尽くす水の遊び-  この遊びには、紛れもなく道具への信念というものが存在している。当然ながらその欲求は人それぞれ個々に違う形として表現される。 だが、そこには一貫して共通するものが確かに大きく寝そべっている。それはあくまで釣り道具は釣り道具であるべきという姿勢。

水面を泳ぐエルジーンをみているとフッとある言葉が頭をよぎる。

釣りは芸術である。芸術とは自然にそむきつつ自然に還る困難を実践する事である -開高健-

サーフェイスゲームはまさにその困難を実践する遊び。先達たちはその為により有効かつ魅力溢れる道具を求め一歩一歩、深々と足跡を残してきた。その軌跡にはきっと数百年前の娯楽釣り師達も心躍らすことだろう。なぜなら同じ遺伝子をもっているはずだから。 釣り道具であるが故の格好良さ、渋さ、美しさ、面白さ、奥ゆかしさの追求。
このエルジーンは、まさにその血統を継ぐラジカルな釣り道具だ。

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